少しセピアな高円寺1998〜2018

ここの日記スペースあるの忘れてたわ。

 

少々酔っ払ってます。スゲぇ長ぇです。

 

約20年前に誰が撮ったのかも覚えてない1枚の写真。

 

手前でバンダナ巻いてしゃがんでるのが俺。

後ろで上向いて写ってるのは当時のベース。今は行方知れず、、、

白バンダナがボーカル、黒Tシャツがギター。

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この頃のバンド名「Divine Mind Circulation」と名乗ってたか、「C.O.D.E」と名乗ってたか忘れたけれど。

この写真、恐らく旧高円寺20000Vの店の前。ビルの入り口だと思う。

地下一階がGEAR(疑嗚呼)、地下二階が20000V。

 

メンバーのシャツに付いてるパスを見るに、この日はGEARでライブをやったのだと思う。

 

全く覚えてないけれど、、、

 

まぁ~〜〜、、、当時からTHE  MAD CAPSULE MARKETSみたくなりたくて、バンドが楽しくて、ライヴが楽しくて。

やり方わからないながらも、ライヴやって、ツアーも行ったり、音源も出したり、グッズ作ったり。


でも、やっぱ難しくてさ、バンドって。


楽しい!だけじゃ進まないわけで、金もかかるし、とにかく金無かったし(今もだけど(´༎ຶོρ༎ຶོ`))

眠くなかったし(良くわからない)

 

色々あった気もするし、無かった様な気もするし、喧嘩も超~したし、はたまた超~笑いまくってたし。

 

いつしかうまくいかなくなって、、、


「若かった」


ちゅう事。かな。

その一言。

 

わけわかんなかったもの(笑)

 


解散して。

 

それぞれの道に進んで。

 

俺は諦めきれなくて、最終的に1人になっても、なんだかんだ音楽続けてて。なんだかんだ音楽に関わり続けてて。

 

こんな掃き溜めみたいなドラマーを、必要としてくれてる人達に生かされてたって言い方が正しいかな。

 

だから偉いとか、凄いだろ?

って事じゃなく。

 

感謝。

 

凄いのは俺以外のメンバー。俺じゃない。

尊敬してる、心から。

 

 

この写真の存在すら忘れてるくらいだから、解散してから連絡取る事も無く。


その間、色々バンドを渡り歩き、音楽で世話になった近しい人も何人か亡くしたりもし、音楽やる理由を挙げたらキリが無いのだけれど、紆余曲折経て、THE DIGITAL CITY JUNKIES、今のバンドを始めて。

 

その存在を当時のボーカルが発見してくれて、ギターと共に連絡くれたのが、つい最近。

 

正直、嬉しかった。

 

俺個人の思いね。あくまで。

音楽続けてて良かったって、思えた瞬間の1つでもあったりしてさ。

 

久々に飯でも行かない?スタジオ入ってみない?って。

連絡くれて。

 

久々の再会はなんだか照れくさかったけど、それも2秒だけ。飯食ってたら、当時の止まってた時間が普通に流れ始めたような感覚。

あっという間に時間も経ち。

 

持ってきてもらった当時の写真、全ていつどこで撮ったのか、説明されても俺は全っっっっ然記憶に無く、、、

どれもなんだか恥ずかしく、でも青春してんだよね。。。

 

 

そこから、後日、ボーカルとギターと俺の3人でスタジオに入って、音を出した瞬間、タイムスリップね。

 

記憶の遥か彼方20世紀に置いてきたものが、一気に溢れ出てきて、死ぬ間際みたいな、なんか走馬灯の様な、叩いてるBPMは早いけれど、何か景色はスローに見え、匂いや、あの時のツアーの高速道路の景色とか、何かアツいものを身体全体で感じたわけ。

 

メンバーそれぞれ、家族が出来たり、結婚、仕事、生活環境はもちろん当時とは変わっているのだけれど、やっぱり魔法にかかっちまうんだね、音出すと。

単純に楽しかったし、気持ち良かった。

 

 

で、まぁ長々と書いてきましたが。。。

 

要は、、、

 

先日、とあるイベントに行く機会があり、THE MAD CAPSULE MARKETSに憧れ、旧20000V前で撮った写真から、約20年。

そんな20年後に、現二万電圧でTHE MAD CAPSULE MARKETSのボーカル、KYONO氏と共に写真を撮るという、なんとも感慨深い、なんというか、感動したというか、そんな淡い話しなのでした。

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もちろん、根本は、変わってない。

今はみんな形は違えど、やっぱ音楽大好きで、でもそれぞれ生活があって、また新たな次へのステップへの夢を描き生きているし、それぞれの人生、素晴らしいと心から思う。

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変わってないのは、俺はいまだにTHE MAD CAPSULE MARKETSに憧れ、THE DIGITAL CITY JUNKIESってバンドをやってて、今も20年前もバンダナだっちゅう事だね(笑)

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だからどうした?だな、それこそ(´༎ຶོρ༎ຶོ`)

 

興味無い人には全くもってどうでもいい話し。垂れ流し。

 

でもなんとなーく、運命を感じる様な今このタイミングで、あぁ、そういえば!って思い出して、振り返って。

 

こういう時間、時代?が確かに昔あったんだよなぁっていう、初老のジジイのひとり言。

 

 

金なら無い。

10周年GIG

デジジャン10周年記念ライブ

遅ればせながら。。。


どうもありがとうございました。

 

1番緊張したのは人生初MCでした。

 

この長文の為だけに、ブログ開設。

メンバーもちろんそれぞれ思いもあるでしょう。

俺個人の10年でもあるわけで。

デジジャンオリジナルメンバーとして10年やってきました。

 

10年前。

 

いや、10年以上前か。
初めて、うちのボーカルがやっていたマッドエースというバンドを、やはり、池袋チョップで見た時、ハリケンというボーカルを目の当たりにした時。

かっこいい!は当然。それよりも前に。

この人と音を出してみたい!

の方が明らかに強かった印象があり。

 

これ、たぶん音楽をやってる人間特有の感覚なんだと思う。

例えるならば。

 

結婚の経験は無いけれど、良く、ビビビッ!と来たとかいう、アレに近いのかも。

 

当時やってたCUT THE CRAPというバンドの自分のボスでもあった、KeNさんに辞表を出し、

ぜってーぶん殴られる、、、と思いながらも、、、

「やっとお前の理想とするバンドが組めるんだから、とことんまでやれよ。
じゃなきゃぶん殴る。」

とね。

 

やっぱり殴られるんだと思いながら、、、

 

今でも昨日のような出来事。

 

それからしばらくしてボスは死んじゃうわけなんですが、、、

 

んなわけで、ボス死んじゃって、辞めらんなくなっちまったじゃねーすか!とね。

  

ボス死んじゃって、その昔一緒にやってたベースや、ギターも同時期位に、続け様に死んじゃったり、、、

 

 

好きな事を好きな時に好きなだけ、長い事ぶっ飛ばして、とことんまでやるってのは、楽しい!だけではやっぱり続かないわけで、、、

 

身近な人間の死だけじゃなく、自身の体調も崩したり、いろんな壁にぶつかりもするし、山を登っては谷底に落ちかけて、周りが見えなくなったりもして。

 

音楽辞めようと思った時もあったり。

 

だけど、逆に音楽やってない時期ってのが無くて、音楽に救われて、乗り越えて、その先が見えてきたりもするわけで。


音楽に俺は恩返しをしなきゃいけない。

 
個人的なとこ。

 

こんな長いこと1つのバンドをやってる事なんて、当然無かったし。

 

昔のバンド仲間はどんどん辞めていき、同年代の友達は皆結婚し、子供が出来。

 

それでも、自分は自分。

 

諦めず、諦め切れず、いつかガキの頃に見た、赤坂BLITZやゼップ東京でのTHE MAD CAPSULE MARKETSみたいになりたくて、同じステージに立ちたくて、憧れて追い求めてきた夢。

迫力のステージに魅せられ、あぁなりたい!と。
爆音に身を委ね、絶対掴みたいと思った夢。
なんなら小学生の頃に東京ドームで観た、マイケルジャクソンまで遡る。

 

 

誰かが言ってたけど、十代の頃に思い描いた夢って、大人になっても誰に何言われようと変わらないって。

 

そりゃ、世間一般にはその限りでは無いだろうけども。

 

自分は今でも変わらない。

 

 

THE DIGITAL CITY JUNKIESの曲を好きになってくれて、出会ってくれて、感謝。
聴いてくれて、応援してくれてほんとにありがとう。
感謝しきれない。

 

メンバー四人中、一番不器用に生きてる人間。
自分が一番わかってます。

 

でも、だからこそ、みんなに生かされてるってのも一番感じます。
ありがとう。

 

普通に生きてたら見れない景色を見させてくれたTHE DIGITAL CITY JUNKIESに感謝。

 

出会ってくれたハリケンに感謝。
ライブを観てる側からは見れない背中は、またカッケーんだわ。
毎ライブ目に焼き付いてる。

アガる。
彼の背中見てドラム叩くと。

あんな「ぶっ飛んだ」「イカれた」最高なボーカルは居ない。見た事が無い。

彼の歌を予想して曲を作ると、次の週には予想を遥か超えた歌メロをつけてくる。
ほんと、ビジュアルや、ライブでの暴れっぷりからは想像出来ない、繊細な感覚の持ち主。

根っからの歌の人。
最強。

 

 

そして、高校も一緒、3年間クラスも一緒、かれこれ20年以上、一緒に音を出してる、ギターのkz。
ひたすら、音、いじってきました。

学生時代からそれこそ、死ぬほど。
いや、はっきし言って、もはや死んで、転生して、蘇るほど、人生で1番、1億回この人と喧嘩をしてきた。

でも、
3億回以上2人で笑ってきたんだわ。

そういう事。

今更言葉はいらない。

 

 

ベースのユラは、、、

特に無ぇなぁ(笑)

でも、ユラ氏が入ってからバンドとして進んだのは事実。。。

あ。。。

実際あんま無ぇな(笑)

いや、色々バンドを面白く、手ごたえのあるものにする為のアイデアはユラ氏が一番。
元々腰の重いバンドに火を点けて、率先して動いてくれてる事に感謝してます。

 

が、

 

演者なわけで、まだまだ出し切ってない。
やれるだけの力はあると思うし、まだまだだな。
ベース頑張れ!!!!(speak!!!!と同じ数の!マーク)

 

そして何より、レーベル最末端な人間にも関わらず、気にかけていただき、背中を押してくれたthe CRAZY-SKB社長に、心から感謝しています。

ありがとうございます。

 

10年という区切りではあるけど、そこは、意味のある通過点。


このメンバーで出したい音があったから、10年やってきたわけで。
まだまだこのメンバーで出したい音があるから、これからもやっていくわけで。。。

 

 

最後に。これが本音。

10周年記念ワンマンライブ直前、ちょうど1か月前位に、自分、パニック障害を発症しました。

ほんとにほんとに、ワンマンを迎える事なんか出来ない、ドラムなんか叩けない。
キツくて悔しくて情けなくて。

何故今、、、

そんな気持ちでした。


無理。
いきなりそんな感情しか無くなりました。

音楽に恩返し?

いやいや、音楽が心から嫌いになりそうでした。

自分自身への怒りや、なんでだ!みたいなのとか、もう何もかも感情がグチャグチャになり。

 

2度とドラム叩けない。
人生終わった、、、

 

ほんとにそんな状況。
人間いきなし、突然ここまでぶっ壊れる。

 

で、そう思った瞬間、両手両足痺れて過呼吸に陥り、目の前真っ暗になる。

死ぬ。

この繰り返し。

マッジっでツラい。

この気持ちや感覚ってほんと、患った人にしかわからないと思う。


死を覚悟する。

楽しみだったはずのワンマン。
最悪なワンマンになりかねない。

既に発表してるし、自身で、ぶっ潰すわけにはいかないし、でも、不安だし、、、
ドラムは叩けるのか、、、
成功させなきゃ、、、
その後はどうする、、、?
音楽活動は出来るのか、、、?
来年は?

の無限ループ。
で、また、色々と考え始め、
あ、死ぬ。

次の瞬間、目の前真っ暗になって倒れる。

 

パニック発作で死なないのはわかってる。

だけど、それはもうほんとに恐怖でしかない。

次の発作が起きたら、次こそはほんとに死ぬんじゃないか?っていう恐怖のみが支配。
で、また倒れる。

 

一ヶ月ちょっとしかない時間で、行けるか?

ダメか?葛藤。

楽しみにしてる事。
だけど、普通の事が突然出来なくなる。

満員電車はもちろん、普通に電車に乗れない。
エレベーターに乗れない。

最初はトイレや風呂でさえ。

何より、ライブが、ライブハウスが恐い。
スタジオ練習が恐い。
景色が、空間がグニャッと歪む。

 

お客さん満タンに入ってるハコで演奏する事が恐怖という、バンドマンとして圧倒的に致命的で全く意味のわからない苦しみ。

 

人間てほんとになるんだよ、こういう事。

 

少しずつ、自分の家の練習パッドから叩き始めて(というか、そこまで戻ってしまいました。。。)
次は部屋を暗くして、叩いてみたり。

 

喘息もあるので、喘息発作きっかけで、パニック発作も出るかも、、、というかかつて出たので、ダブル想定のもと、タバコはもはや当然吸ってないけど、ライブ中のうちの赤髪の花火を想定した、タバコに火だけつけて灰皿に置いた上に更にお香焚いて、超煙い中、想定しながら叩いてみたり。

 

そこから一人で一時間だけ近所のスタジオ借りて何も決めず、思うがままにドラムを叩いたり。

 

閉鎖されたスタジオの圧迫感に押し潰されそうで、怖い、気分が悪いという、もうその状況が意味不明。ツラい。

 

で、そこから全くリズムが取れなくなるという事態に陥る。
今叩いてるテンポが速いのか遅いのか。
力入れて叩いてるのか、リラックスして叩けてるのか。
時間の感覚さえ。
わからない。

 

狂ってしまった、、、

 

そんなとこからスタート。


ワンマン一ヶ月前に。

 

次は二時間。
スタジオのエアコン切って暑い状態でやってみたり。
次は、エアコン切った上で部屋の電気薄暗くして叩いてみたり。

どれもこれも途中で気持ち悪くなり。

当たり前に出来てた事が出来ない悔しさ、情けなさで、ほんとにつらかった。

なかなかバンド練習も出来ず、、、

バンド練習もちょっとの時間からみんなに付き合ってもらって。

ほんとに悔しかった。申し訳なかった。

そして、ありがたかった。

 

メンバーとミーティングも重ねて、10周年記念ライブ、必ず成功させたいとね。思える様になり。

 

当日。
たくさんのお客さんに来ていただき、バンドメンバーに支えてもらって、たくさんの友人、先輩、家族、病院の先生にアドバイスをいただき、無事にライブ終える事が出来ました。

バタバタで、ちゃんと一人一人に挨拶出来ずで申し訳なかったです。

 

視界は、正直相当クラックラでした。

はっきし言って記憶がほぼ無い。

イスのグラグラが気になって、ビデオレター中、イスのネジ締め直そうと思ったら、しっかり締まってたという。そんな状況。

 

でも、音楽が好きで、バンドを始めて、ワンマンライブをやれる事。

 

人生投げ打ってまで、命より大事なもの、熱中出来るものがある事。

それってメッチャ幸せな事。

と痛感しています。

 

また、同じようなパニック障害を患ってる人の気持ちもわかるようになった事は大きい。

 

俺は自分がパニック障害を患った事を公表して良かったと思う。

 

だって、なっちゃったので^^;

少し気も楽になったし。

 

でも、これが、この俺の身体の状況、俺の、俺個人が背負ってきたある種、THE DIGITAL CITY JUNKIESの10年の証、重みでもあったりするのかもな。

 

後ろから3人守ってきたよ。
恥かかせない様に
やっっっぱ大変。
全員バカみてぇにクセ強ぇし。

 

逆に、一個でも間違えると全員の視線超痛ぇし。

なんだよ、ドラマーって(笑)

 

ステージ上で、死んだらかっけーけど、まだまだ夢の途中。

 

そういや、師匠が言ってたじゃねーか。と。

「答えがあるから問題になる。」

時間はかかるかもしれないけれど、これからの俺?
続行に決まってる。

 

俺をパニック障害でデストロイしようなんざマジで8億年早い。

行きましょう。

THE DIGITAL CITY JUNKIES(のドラム)でした。

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